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シリーズ
こふきのひろめ - vol.6 -
前号をまだ未読の方は、よければこちらもご一読いただきたい。
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まだ前提が足らない
「こふきを作れ」との教祖のお言葉を受け、明治14年から20年にかけて教祖の高弟たちが残した書き物は、いわゆる「こふき話(本)」と呼ばれている。
これら「こふき話」の冒頭は、「この世の元初りは、どろ海であった…」という内容から始まり、元なる神「月日」の話へと続いていく。
そして今回、ようやく「こふき」における「元初りの話」や「元の理」の内容に入っていく予定だった。
どろ海とは?
月日とは?
しかし、いざ解説を書きだしてみると、
「このまま進めていいのか?」
という大きな違和感が生まれた。
本題に入る前に、まだ皆さんと共有できていないことがあるのではないか。
再び前提の話になるが、今回は「こふき」の根源にふれる内容にもなるため、どうか最後までお付き合いいただきたい。

解釈、翻訳、解説
現存する「こふき話(本)」をそのまま読むと、難解な事柄が多々出てくる。
そこで必要になるのが、解釈・翻訳・解説である。
『解釈』とは、受け手の視点に基づいて捉えて理解すること。
『翻訳』とは、書かれた文章や意味を、別の言葉に置き換えて表現すること。
『解説』とは、物事をわかりやすく説明すること。
「こふき話(本)」に書かれている言葉や内容を自分なりに解釈する。つまり、現代の感覚で理解する。
その感覚に基づき、別の言葉に置き換えて表現し、わかりやすく要旨を編集していく。
ところが、果たしてこのスタンスで良いのかという違和感が、私の中で生じたのである。
宗教にかかわらず、安易な解釈・翻訳・解説は、様々な弊害をもたらすことがある。
今回でいえば、ややもするとただの「おとぎ話」のような捉え方になってしまう恐れがあるのではないか。
あるいは、現代科学という物差しに照らし合わせて、正しいかそうでないかを早計に判断してしまう恐れさえあるのではないか。
そもそも、解釈・翻訳・解説はあくまで手段にすぎない。
皆さんと共に「こふき」を味わい、"ひろめ"ていくことこそが最初の目的だったはずだ。

金子みすゞの詩
理解ではなく、味わうこと――。
そのためには、「元初りの話」や「元の理」の輪郭をつかむ必要がある。
そこで、ある詩を紹介したい。お道の方ではないが、あの有名な金子みすゞの詩である。
『 蜂と神さま 』
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂の中に。
金子みすゞ名詩集 [金子みすゞ]
小さな蜂の命は、世界と一つにつながり、すべては神様の大いなる懐に抱かれている。
そして、蜂という小さな生命の中に神様がいる。
これ以上、詩の解説をするというのは野暮になるだろう。
これほど神様の世界、神様の物語をわかりやすく朗らかに表現してくれる詩もそうそうない。
私が大好きな詩である。
ぜひ声に出して詠んでみてほしい。

一つは全て、全ては一つ
この詩になぞらえて、「元初りの話」「元の理」を私なりに表現するとこうだ。
この世の初まりのお話は、人間の身体の御守護とつながる。
人間の身体の御守護は、
この世におけるすべての事象・営みへとつながる。
すべての事象・営みは、
元初りという過去から現在、そして未来へとつながる。
過去・現在・未来は、
人間がなんのために生まれ、どう生きるのかという根源につながる。
なぜ生きるのかという根源は、
親神様の思召、そして教祖のひながたへとつながる。
教祖のひながたは、
人間救済のための手立てである「おつとめ」へとつながる。
そして、おつとめこそ、
この世の初まりのお話につながる。
どの点を切り取っても、すべてつながり合っている。
一つは全てであり、全ては一つである。
そして、それらすべての根源・元は一つである。これこそが元の理である。
「元初りの話」「元の理」という神様の物語を味わい、そして今も続く神様の物語の中で共に生きていく。
これができたら、どんなに素晴らしいだろうか。
これまでの連載において、皆さんと最も共有したかったのが今回の内容である。
連載も6回を数え、未だに本題に入れていない遅々とした歩みであるが、どうかこれからも気長にお付き合いいただきたい。
立教189年8月1日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男

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