“こふき”のひろめシリーズ おすすめ 会長ブログ

“こふき”と救済(繁藤月報-巻頭言 2026.6)


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シリーズ

こふき・・・のひろめ - vol.4 -

前号をまだ未読の方は、よければこちらもご一読いただきたい。

  1. 布教はイヤだ(2026.3)
  2. こふきのひろめ(2026.4)
  3. こふきの目的とは(2026.5)

§ § § § § § § § § § §

荒唐無稽な物語

「どろうみこふきは荒唐無稽こうとうむけいである」[ ※1]

これは前々から紹介している『こふきの研究』にある一文だ。

もちろん、二代真柱様が意図いとされたことではなく、当時このような受け止め方や通説つうせつが、長らく浸透してしまっていたのである。

その原因として、一般に公開されていなかったこと、折釘流おれくぎりゅう[ ※2]で読みにくい写本しゃほんであったこと、そして当時の政府からの干渉があったことなどが挙げられる。

この誤った認識が正される契機となったのが、『復元ふくげん[ ※3]をはじめ、『こふきの研究』などであった。連載4回目にして、ようやく片鱗へんりんだけではあるが、“こふき”の内容に触れていきたい。

[ ※1]荒唐無稽こうとうむけい

言動に根拠がなくて、とりとめもないこと。でたらめであること

[ ※2]折釘流おれくぎりゅう

折れ釘を並べたような、認識しづらい筆跡のことをいう

[ ※3]『復元ふくげん

教祖の教えの本元に立ち返るために教義及史料集成部より発行された出版物

こふきの概要

「こふきを作れ」との教祖のお言葉を受け、明治14年から20年にかけて教祖の高弟こうていたちが残した書き物は、いわゆる「こふき本(こふき話)」と呼ばれている。

その内容は年代と共に多少の違いがあるものの、『こふきの研究』においては概ね以下の通りであるとまとめられている。

  1. この世の初まりのお話
  2. 人間身の内の御守護
  3. いんねんとほこりの話
  4. をびやの話
  5. 教祖
  6. 神道見立しんとうみたて
  7. 佛教見立ぶっきょうみたて

等になってありまして、おつとめの意義の説明からはっして、信仰するものの態度にまで及び、そのせつ、そのせつのお話のあやと思われる説話にまで含まれているのであります。

『こふきの研究』p.154

加えていうならば、冒頭の「荒唐無稽」という解釈は、おそらく第一の「この世の初まりのお話」、つまり泥海古記どろうみこふきを主に指していると思われる。

この概要をおさえた上で私が申したいのは、“こふき”が荒唐無稽ではないことの「証明」ではなく、その「目的と生かし方」についてである。

前回、「こふきを作れ」との教祖のご指示の背景には、あえて人間に作らせるという教育的意図があったと述べた。つまり、「取次人の養成」である。

ここをもう一歩深掘りしていきたい。

(AIで作成したイメージのイラストです)

人間の必要性

時代はさかのぼり、元治がんじ元年に教祖はおうぎ御幣ごへいなどの“さづけ”をお渡しになる。その後、明治7年に赤衣あかぎを召されるようになり、自らが“月日のやしろ”である理を明らかに現された上で、身上たすけのための“さづけ”を渡されるようになった。

そして先述の通り、明治13〜14年頃から「こふきを作れ」と、取次人の養成に着手されていく。

この一連の流れをみたとき、“こふき”の存在において教祖が期待されたのは、ただ単に「お話の取り次ぎ」に留まらないのではないか、と私は考える。

教祖ひながたの大半は、生き神様であった教祖が直接人間を救済することが主であった。

しかし、この頃からお側の高弟こうていたちが教祖の手足となり、にをいがけや人たすけを担うようになっていく。

つまり、神の名代みょうだい[ ※4]として「ひろめ・たすけ」が展開されていったのだ。その具体的な手立てとして教えられたのが“つとめ”と“さづけ”、そして“こふき”であった。

おふでさき研究の大家たいかである故・芹澤茂先生は、著書『おふでさき通訳』にこう記している。

端的に言って、こふきは親神が教祖を通して信者(取次・ようぼく)に仕込まれたものである。

こふきを仕込み、親神のたすけのお働き(守護)を仕込み(おふでさきにも記述)、そうして神と人間と協働してたすけをしていく、というのがたすけの基本的な方針である。

『おふでさき通訳』p.693

つまり、“こふき”はこの世の真実、根源を明らかにした話に留まらない。

その内容そのものがご守護のもとであり、人間の口を通して人たすけをしていくための手段なのだ。

“こふき”を別の言葉に置き換えるのであれば「たすけの理話りばなしといえよう。

(参考:『教理研究 元の理』深谷忠政著)

[ ※4]名代

ある人の代わりとして、その役目を務めること

(AIで作成したイメージのイラストです)

話一条で皆たすかる

最後に、ここまでの文脈を最も端的に明示している、『こふき本(16年桝井本)』の一部を抜粋して締めくくりたい。

神のゆうことわしんしつとをもてねかゑば、おかみきとふや、くすりのまいでも、はなしいちしよふでみなたすかること、これしよふこなり。

『こふきの研究』p.139〜140
[文章補足]
神の言う事は真実と思て願えば、拝み祈祷きとうや、薬飲まいでも、話一条で皆たすかる事、これ証拠なり。

教祖140年祭後、繁藤大教会の活動方針の項目の一つに「この道は話一条、お道の話を取り次ごう」と掲げているが、その所以ゆえんがここにある。

繰り返しになるが、そもそも「こふきのひろめ」と題して連載しているねらいは、荒唐無稽かどうかの証明をしたいからではない。

皆さんと共に“こふき”の位置づけそのものを見直していきたいということこそが、このシリーズの大きな目的の一つなのである。

  立教189年6月1日
    天理教繁藤大教会長
          坂 本 輝 男あきお

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