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シリーズ
こふきのひろめ - vol.4 -
前号をまだ未読の方は、よければこちらもご一読いただきたい。
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荒唐無稽な物語
「どろうみこふきは荒唐無稽である」[ ※1]
これは前々から紹介している『こふきの研究』にある一文だ。
もちろん、二代真柱様が意図されたことではなく、当時このような受け止め方や通説が、長らく浸透してしまっていたのである。
その原因として、一般に公開されていなかったこと、折釘流[ ※2]で読みにくい写本であったこと、そして当時の政府からの干渉があったことなどが挙げられる。
この誤った認識が正される契機となったのが、『復元』[ ※3]をはじめ、『こふきの研究』などであった。連載4回目にして、ようやく片鱗だけではあるが、“こふき”の内容に触れていきたい。
[ ※1]荒唐無稽
言動に根拠がなくて、とりとめもないこと。でたらめであること
[ ※2]折釘流
折れ釘を並べたような、認識しづらい筆跡のことをいう
[ ※3]『復元』
教祖の教えの本元に立ち返るために教義及史料集成部より発行された出版物

こふきの概要
「こふきを作れ」との教祖のお言葉を受け、明治14年から20年にかけて教祖の高弟たちが残した書き物は、いわゆる「こふき本(こふき話)」と呼ばれている。
その内容は年代と共に多少の違いがあるものの、『こふきの研究』においては概ね以下の通りであるとまとめられている。
- この世の初まりのお話
- 人間身の内の御守護
- いんねんとほこりの話
- をびやの話
- 教祖
- 神道見立
- 佛教見立
等になってありまして、おつとめの意義の説明から發して、信仰するものの態度にまで及び、その節、その節のお話のあやと思われる説話にまで含まれているのであります。
『こふきの研究』p.154
加えていうならば、冒頭の「荒唐無稽」という解釈は、おそらく第一の「この世の初まりのお話」、つまり泥海古記を主に指していると思われる。
この概要をおさえた上で私が申したいのは、“こふき”が荒唐無稽ではないことの「証明」ではなく、その「目的と生かし方」についてである。
前回、「こふきを作れ」との教祖のご指示の背景には、あえて人間に作らせるという教育的意図があったと述べた。つまり、「取次人の養成」である。
ここをもう一歩深掘りしていきたい。

人間の必要性
時代は遡り、元治元年に教祖は扇や御幣などの“さづけ”をお渡しになる。その後、明治7年に赤衣を召されるようになり、自らが“月日のやしろ”である理を明らかに現された上で、身上たすけのための“さづけ”を渡されるようになった。
そして先述の通り、明治13〜14年頃から「こふきを作れ」と、取次人の養成に着手されていく。
この一連の流れをみたとき、“こふき”の存在において教祖が期待されたのは、ただ単に「お話の取り次ぎ」に留まらないのではないか、と私は考える。
教祖ひながたの大半は、生き神様であった教祖が直接人間を救済することが主であった。
しかし、この頃からお側の高弟たちが教祖の手足となり、にをいがけや人たすけを担うようになっていく。
つまり、神の名代[ ※4]として「ひろめ・たすけ」が展開されていったのだ。その具体的な手立てとして教えられたのが“つとめ”と“さづけ”、そして“こふき”であった。
おふでさき研究の大家である故・芹澤茂先生は、著書『おふでさき通訳』にこう記している。
端的に言って、こふきは親神が教祖を通して信者(取次・ようぼく)に仕込まれたものである。
こふきを仕込み、親神のたすけのお働き(守護)を仕込み(おふでさきにも記述)、そうして神と人間と協働してたすけをしていく、というのがたすけの基本的な方針である。
『おふでさき通訳』p.693
つまり、“こふき”はこの世の真実、根源を明らかにした話に留まらない。
その内容そのものがご守護のもとであり、人間の口を通して人たすけをしていくための手段なのだ。
“こふき”を別の言葉に置き換えるのであれば「たすけの理話」といえよう。
(参考:『教理研究 元の理』深谷忠政著)
[ ※4]名代
ある人の代わりとして、その役目を務めること

話一条で皆たすかる
最後に、ここまでの文脈を最も端的に明示している、『こふき本(16年桝井本)』の一部を抜粋して締めくくりたい。
神のゆうことわしんしつとをもてねかゑば、おかみきとふや、くすりのまいでも、はなしいちしよふでみなたすかること、これしよふこなり。
『こふきの研究』p.139〜140
[文章補足]
神の言う事は真実と思て願えば、拝み祈祷や、薬飲まいでも、話一条で皆たすかる事、これ証拠なり。
教祖140年祭後、繁藤大教会の活動方針の項目の一つに「この道は話一条、お道の話を取り次ごう」と掲げているが、その所以がここにある。
繰り返しになるが、そもそも「こふきのひろめ」と題して連載しているねらいは、荒唐無稽かどうかの証明をしたいからではない。
皆さんと共に“こふき”の位置づけそのものを見直していきたいということこそが、このシリーズの大きな目的の一つなのである。
立教189年6月1日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男

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