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シリーズ
こふきのひろめ - vol.9 -
前号をまだ未読の方は、よければこちらもご一読いただきたい。
- 布教はイヤだ(2026.3)
- こふきのひろめ(2026.4)
- こふきの目的とは(2026.5)
- こふきの救済(2026.6)
- こふきは続く(2026.7)
- 金子みすゞと元の理(2026.8)
- 力あるなら、掘り切りてみよ(2026.9)
- 隠喩と象徴(2026.11)
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前回、「どじょう、うを、み」の解釈とともに、「隠喩と象徴」について述べた。
この続きのお話には、いろいろな動物が出てくる。その内容に入る前に、今回はこふきのお話がどのような状況で取り次がれていたのかについて触れていきたい。
昼ではなく、しかも夜中に
明治15年におふでさきのご執筆が終えられる前後から、教祖が繰り返しお聞かせ下さったのが、「元の理」である。
のちに「こふきを作れ」と仰せになられる内容のお話であるが、教祖がお話し下さるのは、昼間ではなかったようである。農事の多忙な時、しかも夜中に、教祖は熱心な人たちを相手としてお聞かせ下さったと伝えられている。
そしてそれは、取り次ぎと呼ばれる高弟たちが、お屋敷に寄り来る人々にお話をされる場合も同様であった。
その情景がありありと浮かぶエピソードを紹介したい。松村吉太郎 著『道の八十年』の冒頭部分である。なお、読みやすいよう、旧字や旧仮名遣いを現代の表記に改めている。
「道の八十年」(松村吉太郎 著)
明治十九年の夏。
河内一円に、天理教 対 仏教の攻撃と罵倒の講演会が、そろそろ盛んになりかけた頃。
中山家の一室の、蚊帳のすそを吹きなぶる風の水のような冷たさは、もう夜明けに近かった。うす明かりの中に桝井(伊三郎)さんの顔がほのかに見え、この世元はじまりのお話から初まって親神様の御守護――それから更に身の内借物からいんねんについて、今はその長いお話も終わりに近づいていた。
その夜更けの十二時をすぎてから初まったお話であるから、たっぷり三時間はすぎていたであろう。桝井さんの話には切れ目がない。かんでふくめるような一語々々、聞いている私と平野(楢蔵)さんとは、まるで海綿[ ※1 ]のようになって、その全てを心魂に吸いとっていた。
「⋯⋯だから身上は神様からの借物、心一つがわがのものじゃ、心通りの守護です。わかりますね。
故に心が倒れたら身が倒れる。心が生きたら身が生きます。
⋯⋯もう夜明けや、今日はこれでおかしてもらいます⋯⋯。」三人の柏手が鳴って、それから蚊帳の中は人間の世界にかえるのであった。
私はそそくさと身支度を初めた。
「松村さん、今日はわしも一緒に帰ろう、一人道は淋しいやろう、竜田まで送っていったら、夜があけるやろう⋯⋯」と言って平野さんも帯をしめなおした。
おやすみ中の教祖様に拝をして門を出ると、すぐに野道となる。青田の上を吹いて来る未明の涼風が、火のようにほてった頬を気持よくなでる。道はまだ暗い。二人はまだお話の興奮からさめきれないで、ものもいわずにスタスタと歩いた。
神様、神様、神様⋯⋯ただそれだけが胸の中に燃え立っている。およそ一里[ ※2 ]あまりも、一歩一歩に神様の名を呼びながら歩いただろうか。
「松村さん」突然、平野さんが呼びかけた。
「はい⋯⋯」「今日はおまはんのお陰で有難いお話を聞かせてもろうた。ほんまに結構やった」「いつも同じようなお話ですが、何度きいてもあきません。ふしぎなことです⋯⋯」「ほんまにそや、桝井さんのお話はきまっているが⋯⋯ちょっとも目新しいお話はせえへん」「それでも聞き飽かないのは、どういうことでしょう」「聞くたびに、わし等の方に新しい悟りが一つ一つ開けてくるやろ、そこや⋯⋯」平野さんの言葉にうなずいた。
それは、ちょうど流れる水を見ているようでもあった。目の前を流れすぎゆくものは常に一つの水である。それでいて、心の眼というか「観の眼[ ※3 ]」が開けるにつれて、その一つの水に千姿万態[ ※4 ]を見出すのと同じであった。そしてまた、入信後日なお浅く、とてもの命を助けていただいた喜びに燃え上がっている二人には、無限の悟りの、その門をくぐったばかりであったのだ。
『道の八十年』 松村吉太郎 著

用語・人物解説
[※ 1] 海綿
海にいる動物で、網状で弾力性に富み、水分をよく吸収する。いわゆる天然のスポンジ。
[※ 2] 一里
約3.9キロメートル
[※ 3] 観の眼(目)
心の目で全体像や本質を捉える見方。全体を俯瞰し、つながりや流れの中で物事を感じる視点。
[※ 4] 千姿万態
姿や形やようす、ありさまなどがさまざまであること。
◇ 松村 吉太郎(まつむら きちたろう)
のちの髙安大教会の初代会長。この頃、二十歳。
◇ 桝井 伊三郎(ますい いさぶろう)
早くからお屋敷に引き寄せられた先人の一人で、教祖より取り次ぎを任されていた。「こふきの研究」(中山正善 著)にて取り上げられている「こふき本」の一つが、明治16年の桝井本「神の古話」である。この頃、三十八歳。
◇ 平野 楢藏(ひらの ならぞう)
のちの郡山大教会の初代会長。この頃、四十二歳。

結びに
前々より、「元初まりの話」や「元の理」は、知識として理解するのではなく、証明するものでもなく、味わうものだと述べてきた。
そもそも、人間の常識や物差しをもって、聞く話ではない。
人間世界の話ではなく、「神様の御守護の世界の話」であるのだ。
ゆえに、「観の眼」とあったが、いうなれば「心のチャンネル」を神様の世界に合わせて聞かせてもらうこと。これが肝心である。
「理は元の理、元の理は神の話す理」
おさしづ 明治29年8月22日
元初まりのお話 (ムック天理Ⅱ)
『元初まりのお話』(芹澤茂 編述)▶ 前回の引用文をひらく
この世の元初まりは泥の海。そのたいら一面泥海の世界に、月様と日様がおいでになるばかりであった。
(この月様と日様は、くにとこたちのみこと、をもたりのみことと申し上げ、人間とこの世界をはじめられた親神様である。)
月日様はいつも、
「泥海の世界にふたりいるばかりでは、神といって敬ってくれるものもなし、なんの楽しみもない。人間というものをこしらえて、その陽気ぐらしをするのを見てともに楽しみたい」
と話し合っておられた。
あるとき月様と日様は、泥海のなかに大龍・大蛇のお姿をしてお現れになった。泥海なかを御覧になると、たくさんのどぢよ(どじょう)ばかりいるなかに、うを(魚)とみ(巳)の泳いでいるのが目にとまった。
(このうをは岐魚ともいい、うろこのない人魚のようで、くじら程もある。みも大きな白い蛇で、太刀魚の体つきである。)
おふたりで、うをとみをよく御覧になるうち、
「このものを雛形として人間をこしらえたらよかろう」
と思いつかれた。それで、うをとみを雛形に、そのほかの道具をつかって人間を創造する模様を相談され、やがて相談がまとまった。
そこでまず、うをとみとを呼び寄せられた。うをとみはお召しによって、月日様のもとへ真っ直ぐにやってきた。月日様がよくよく御覧になると、顔といい肌合いといい、つくろうと思う人間にふさわしく、また心根もともに一すじ心で、月日様のお心にかなっていた。月日様は人間創造の思召しをお話しになって、
「おまえたちを人間の雛形にしたいと思う。ここにいるたくさんのどぢよをたねとして、ほかに道具も寄せてやるから、ひとつ、種・苗代として働いてくれないか」
とお話になった。うをもみも一度はお断り申し上げたのであるが、月日様が重ねて、
「人間世界ができあがって、初めて生まれる子数(子供の数)の年限が経ったなら、親として敬われるようにしてやろう」
とお約束になったので、やっと承知をした。そこで、人間の種・苗代としてもらい受けられた。
立教189年11月1日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男

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