人間、今が一番若いんだよ。明日より今日の方が若いんだから。いつだって、その人にとって今が一番若いんだよ。
(永六輔 放送作家・作詞家)
これは【 上を向いて歩こう 】を作詞した永六輔氏の言葉です。私が好きな言葉の一つですが、先日良かれと思ってある人に同じような言葉を掛けたところ、
「それは君が若いから言える。それを言うとTAKER(奪う人)になってしまうよ。」
と言われ、ハッとさせられました。
頑張れと言う、その前に
これを言われたのはちょうど先月。
10月は秋季大祭の月ということで、部内のいくつかの直轄教会へ巡教に行かせていただきました。
そこで話したテーマは『仕切ってつとめる』というものです。ありがたいことに、聴いていただいた何人かの方から「勇ませてもらうお話でした」と感謝とお褒めの言葉をいただきました。
しかし、今あらためて振り返ってみると、こういう檄(げき)を飛ばすような話をする前に、見落としてはならない『ある前提』が必要なのかもしれません。
教会へ巡教に行くと、いろんな方とお会いします。また、にをいがけ・おたすけに歩かせていただくと、病気を患っておられたり、心が沈んでいる方など、出会う方によってその人の状態は様々です。
頑張っていきましょう!と言える人もいれば、簡単には言えない状態の人もいます。場合によっては、ただ話を聞くことしかできず、自分の無力さを痛感することさえあります。
今回の巡教では、教祖140年祭に向かって勇んでいきましょう、という意図をもってお話をしましたが、それが聞き手の心に響くこともあれば、場合によっては心が苦しくなってしまうこともあるかもしれません。
その『ある前提』とは何なのか。
私なりの言葉でいうと、それは心にエネルギーがあるのか。もしくは未来に向かい歩んでいくための『希望』が持てる状態にあるのかということです。
セラピーよりも、まずは心の処方箋を
これはカウンセリングの分野でも似たような視点があります。
私が尊敬する、東畑開人氏という臨床心理士の著書に【 なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない 】というものがあります。この本では、人生を航海に例えています。そして、カウンセリングという人の心に寄り添う営みにおいて、二つの段階があると述べられています。
一つ目は、混乱した状態から、安全な港まで避難するための段階です。一度態勢を整えるために、(心の)処方箋が有効に働きます。
二つ目は、安全な港から出て、夜の海へと漕ぎ出す段階です。クライエント(相談者)は暗中模索しながら、自分なりの人生の目的地を探すことになります。この段階を『セラピー』と呼びます。
なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない
(著:東畑開人)
夜の海。
ひどく孤独で身を寄せるあてのない過酷な現代社会のことをこう例え、まずは混乱した状態には、安全な港に寄ることが第一段階であるといいます。
言い換えると、自立を目指して進むべき方向を探す『セラピー』をする前に、まずは『ただ、いる』ことのできる心を休める拠り所が必要だというのです。
心勇んで?心休めて?
では、お道の教えはどうでしょう。
『勇む』や『仕切る』というキーワードはよく耳にしますが、どちらかというと東畑氏のいう第二段階のセラピーに近いと考えられます。
一方で、第一段階の態勢を整えるための『心の処方箋』に近いものについては、どう教えていただいてるのか。
いくつかの方面からおさしづを紐解いてみると、『心』を『休める』というキーワードからヒントとなる手がかりを見つけました。『心休ませ、心の休め』などの言葉でおさしづを検索すると60件以上も出てきます。その中には身上だけでなく、事情の伺いのおさしづも多数あります。
全部読ませてもらうと、『心休める』などの近くに出てくる言葉には『たんのう・楽しみ・安心・満足』などがあります。
今回は二つのおさしづを引用いたします。
さあ/\たんのうを諭してくれ/\。もうたんのうという理が、真の心の休めである程に。
おさしづ(明治32年7月25日)
たんのうさせば心も休まる。心休まれば身も休まる。
おさしづ(明治33年5月13日)
『水を飲めば水の味がする』とお教えいただくように、身の内かりものを始めとし、実は今すでにある御守護にまずは気づくことによって、たんのうの心が湧いてくる。そこで初めて感謝の心、いわば心のエネルギーが生まれてきます。
あなたの目の前の人はどういう状態なのか。
陽気ぐらしに導くためには、相手の状態を見極め、寄り添い方を変えなければなりません。
ガソリンがないと車が動かないように、頑張れ、頑張れと声をかける前に、やはり忘れてはならない前提があるようです。
ついつい人に求めてしまいがちな私自身。
教祖だったらどうなされるか。
その軸を心から離さないよう、
『明日に希望を、今日を陽気に』いや、もしくは『今日を陽気に、明日に希望を』の合言葉を胸おいて、今後の年祭活動を歩んでいきたいと思います。
立教186年11月1日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男