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何をひろめるか?
前回の巻頭言で〝ひろめ一条〟について触れた。予告通り、今回は「何をひろめるのか?」について考えていきたい。
最初に結論を述べたい。我々ようぼくが世界にひろめていくものはこふき(こうき)である、と私は考える。
こふきというキーワードに着目したのは、教祖140年祭後は〝ひろめ一条〟を繁藤の活動方針の軸としていきたいと考えだしてからである。
しかし、これこそが最近の言葉でいうと〝沼〟であった。要するに、没入して抜け出せないほど奥が深いものだったのだ。
こふきの漢字
こふきに向き合うにあたって、まずもって大きな道標となるのは、二代真柱様が書かれた「こふきの研究」という書籍である。
冒頭、こふきという言葉にはどんな漢字をあてるのが相応しいかについて触れられている。
まず教祖御在世当時、お傍の高弟 [ ※1 ] が記されたものには〝古記〟の漢字があてられていた。
いわゆる〝泥海古記〟である。これは〝此世の元初まりのお話〟、つまり神様がこの世界や人間を創られた起源の話で主であった。
日本国でいえば古事記の神話。キリスト教でいえば、聖書に記されているアダムとエバ(イブ)の創世記である。そして、古記の他にも光輝、功記、後記という文字をあてられた例も見受けられるという。
このことを踏まえて二代真柱様は、
(教祖が)親しく誌されたおふでさきに対して、口授して書き取らしめられた〝記〟を〝こふき〟と呼ばれたものであり、強いて字を當てれば、〝口記〟の方が寧ろ、本来の意味を寫す文字ではないかと考えるのであります。
こうきの研究(中山正善 著)
と述べられた。
※1 高弟
弟子の中で、特にすぐれている者。

一旦、固定観念を捨てよう
こふきという言葉にふれたとき、ほとんどの方が連想するのは、〝泥海古記〟、つまり〝元初まりの話〟、そして〝元の理〟であろう。
天理教教典の第三章にある、「この世の元初りは、どろ海であった・・・」で始まる内容だ。
ただ、このたび私が皆さんに望むのは、その固定観念やイメージは一旦捨ててほしいということである。
〝古記〟の文字にとらわれると本来のこふきの全貌、神意をつかむことの妨げになってしまう恐れがあると考えるからだ。
つまり、こふきとは〝元初まりの話〟や〝元の理〟だけに留まる内容ではないのである。

今後、皆さんとこふきについて思案を深めていくにあたり、まっさらな気持ちで、あえてこの平仮名のこふきに向き合っていきたい。
その上で、「こふきとは何か?」を私なりに一言でいうと、
「教祖が主に口で伝えられたことを、お傍の高弟が受けとめ、書き記したもの」
である。
まずはこふきにふれる初回に、かく仮定したい。
無知の知
ところで、私事になるが、教会長になって今年の2月で丸4年が経った。
まだまだ未熟者ではあるが、天理教の教理について、多少は頭で分かっているつもりでいた。
しかし近頃、こふきに関する書物を何冊も繰り返し読んでいる中で、徐々に心に浮かんできたことがある。
「ああ、自分は何も分かっていなかったのかもしれない」
ということだ。まさにソクラテスの〝無知の知〟の出発点に立った、そんな気持ちである。
おふでさきを読むと、こふきはこの世の〝もと(根源・根本)〟あるいは〝しんぢつ(真実)〟とも言い換えられる。
その〝もと・しんぢつ〟を知り、深め、掴んでいくことは人生をかけて取り組むほどのものだと気づいた。
回を重ねてこふきをテーマに思うところを記していく予定だが、簡単にまとめることはとてもできそうにない。1年どころか、5年、10年、いやもっとかかるかもしれない。
教祖140年祭を終え、こふきを深く掘り下げていきたいと思った今の起点を、大げさではあるが私の中での「こふき元年」としたい。

ワクワクした気持ちで
ここで一点、ことわっておきたい。
このたび、こふきを深堀りしていく決心をしたわけだが、決して学術的に論じていきたいわけではない。
そもそも〝元初まりの話〟や〝元の理〟などは理解しがたい、もしくはとっつきにくいと感じる方が少なくないだろう。
そこで前提をいくつか挙げておきたい。
まず、あくまで私の第一の目的は、皆さんと共にこふきをひろめていくことだ。
だからこそ、念頭に置きたいのは、興味深く、かつ分かりやすさを心掛けたいということである。
むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに。
これは以前紹介した、ひょっこりひょうたん島を代表作とする作家の井上ひさし氏の名言だ。
これが私のモットーである。
もちろん、できうる限り原典はもちろん、史実や文献等の根拠に基づいていく姿勢はしっかりと持ちたい。
その上で批判を恐れずに、理の思案や悟りを私らしく大胆に展開していきたいと考えている。
そして、このこふきという分野については、教義が明確に固まっていない側面が多々ある。
だからこそ、いろいろな捉え方ができるし、議論の余地が大いに残されている。
私への異論反論は真摯に受け止めていきたい、というか大歓迎である。
ぜひ皆さんのご意見、コメントをお待ちしている。

結びに
最後におふでさきを一首紹介して、今回の締めくくりとしたい。
このねへをしんぢつほりた事ならば
ま事たのもしみちになるのに
おふでさき 5号66
[おふでさき註釈]
もしこの根本の真実を真に悟った事ならば、まことに頼もしい道になるものを。
〝ひろめ一条〟を掲げるといっても、布教というイメージから連想しがちな、「〜しなければ」ということを皆さんに押し付けるつもりはない。
また、私自身もそのような気持ちで歩んでいくことは極力したくない。
先述のおふでさきの通り、この世界・人間の〝もと・しんぢつ〟、つまりこふきを掘り下げていった先に、陽気ぐらしという頼もしい道が待っているんだ。
そんなワクワクした気持ちを皆さんと共有しながら、希望を持ってこの道を求めていきたい。
立教189年4月1日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男
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