「繁藤はド田舎で何もないよね」
何度もそう言われてきたし、私自身もそう思っていた。
先月、繁藤地域の住民を対象として、ある意見交換会が開かれた。テーマは「繁藤にある保育園、小学校、中学校の存続について」だった。
現在、いずれも休園、休校中である。
今後、児童数が増える見込みもなく、正式に廃校にして土地建物の有効活用を検討してはどうか、ということで地域住民の声を聞くことが今回の会合の目的である。
私が子どもの頃の繁藤小学校は、全校生徒が21人。繁藤中学校にいたっては全部で8人だった。
まさに社会科の教科書に出てくるような過疎化の地域だ。
興味のある方はGoogleマップで「天理教繁藤大教会」と検索し、航空写真モードで見てみてほしい。よくこんな田舎に大教会ができたな、といつも言われる。(笑)
繁藤小学校の歴史は古く、明治27年(1894年)の設立である。
昨年、繁藤大教会は創立130周年を迎えたが、教会設立のわずか2年後だ。
しかし、先述したとおり、平成25年をもって119年続いた繁藤小学校は休校となった。
来春から小学生になる娘を持つ親として、またこの先もこの場所で教会活動をしていく会長としても、あらためて考えさせられる、というか向き合わないといけない現実であった。
130年、7代にわたって続いてきた教会もあれば、その幕を下ろす学校もある。
この違いは何か。
前提として、もちろん私の思いは、この先も子や孫、末代にわたって続いていく教会、信仰を目指したいと思っている。
「この先ずっと残るものってなんだろう?」
と考えてみた。
生き残っていくためには今、何が求められるのか。
時代に即したカタチとはなにか。
5年後、10年後の世の中はどうなっているのか。
はじめ、そう考えた先にある答えを私は求めた。
しかし、これはまったくの徒労だった。
どんなに考えたところで分かるわけない、未来のことなんて。
そこで逆の発想をしてみた。
そもそも宗教において大切なのは普遍性ではないだろうか。普遍性、つまりどんな時代や場所においても通じる性質のことである。
この視点に立ったとき、見るべきは「未来」ではなく「過去」である。
しかも去年や一昨年の過去ではなく、10年、50年、100年レベルでの過去だ。
あらためて、「何もない」と思っていた繁藤に対して、真正面から「何がないのか」を考えてみた。
確かに最寄りのコンビニまでは車で20分近くかかる。
昔は商店や居酒屋、映画館まであったらしいが、もちろん今はあるはずもない。
ましてや学校までもなくなってしまいそうだ。
車がないと生活できないし、正直、不便なことを挙げるとキリがない。
しかし、この先100年続く信仰をつくっていくために必要なことなのか。
むしろ、消費や刺激といったモノ・コトとは一線を画した、他にはない価値の方が重要になってくるかもしれない。
不便だと思っていたことさえ、強みになりえるかもしれない。
春になれば山菜を味わい、
夏になれば川で鮎をとり、
秋になれば棚田に稲穂が実り、
冬になれば高知でも毎年雪が降るほど寒いが、夜には満点の星空がきらめく。
そうやって全身で花鳥風月を感じることができる。
決して、田舎暮らしを推奨したいわけではない。
抽象度を上げると、この考え方は、単に田舎のことに留まる話ではない。
私やあなたが「何もない、価値がない」と思っていることは、ただ見えていないだけ、気づいていなかっただけではないのか。
魅力がないと思っていたものも、光の当て方を変えてみると、色鮮かやに輝きだすかもしれない。
正直、繁藤に学校が復活する望みは今のところ薄いだろう。
ただ考えてみれば、大きな意味では天理教の教会も同じ人を育てる場所ともいえる。
親神様の火水風の御守護を体感しながら、心を澄ます修養の場。
そして天理教の使命である「人たすけ」の人材を育成する場として、この土地の特性を活かし、明るい繁藤の未来をつくることができるかもしれない。
今、私の夢は膨らんでいく一方だ。
さて、気づけば早くも師走。
そして12月21日は納めの月次祭だ。
前日の晩には、久しぶりに教会で忘年会を開こうと思っている。
うちで飼っている土佐地鶏と、しげとう産のゆずで鍋を皆で囲む予定だ。
「何もない。」
こんなド田舎でよければ、皆さんにぜひ足を運んでもらいたい。
立教186年12月1日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男
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