ー 前会長さん、元気にしてるか? ー
これは毎月おぢばに帰るたびに、必ず一度は投げかけられる質問です。父である前会長からこの職を譲り受けて早1年半。いやこの場合、まだ1年半しか経っていないと言ったほうが適切でしょうか。まるで、会長職を辞した途端に、繁藤の山奥に引きこもっていると皆さんに思われているのかもしれません(笑)。
たいていが前会長と交流があった大教会長さんや本部の先生ですが、皆さんそう問いかける中に、微かながら哀愁が漂っているような気がします。そんな様子を傍から見ていて、このつながりは上司や部下、同僚や友人とも少し違うものであり、不思議なものだなあと感じます。何れにせよ、有り難く、貴重なものであることに違いありません。
天理教では、教会系統の人間関係を「縦のつながり」、教区や支部内での教友の関係性を「横のつながり」と表します。
しかし、世間一般でいう縦の関係、あるいは横の関係とは微妙に異なります。縦は、親と子、先生と生徒、上司と部下のように上下関係のあるもの。横は、友達や同僚、夫婦といった対等な関係のことです。
またここに加え、「ナナメの関係」というものがあります。主に子どもの育成について語られることが多く、親でも教師でもない世代を超えた先輩・後輩の関係のことを指します。近所のおじいちゃん、親戚のお姉ちゃんなどをイメージすると分かりやすいと思います。
そしてこの関係は子どもだけに限ったことではなく、趣味などでつながった関係もこれに当てはまり、企業における他部署の先輩・後輩などの関係を指すこともあります。広義のナナメの関係とは「利害関係のない第三者との関係」といえるでしょう。
最近では、現代社会におけるストレスや生きづらさを回避したり和らげるためにも、このナナメの関係を築くことが大切だと推奨されているのです。家庭(第1)でもない、学校や職場(第2)でもない、ナナメの関係と出会える「第3の居場所(サードプレイス)」の存在が人の心や人生を豊かにするといいます。
そう考えると、お道における「ナナメの関係」はどんなものなのか。また対社会に対して、天理教の教会が「サードプレイス」となり得るのか。これからの時代、この問いに向き合うことなくして、お道の明るい未来はないと私は思います。
第3の居場所といえば、つい最近の9月24日に詰所である集いをしました。それは、繁藤につながる天理管内の勤務者や学生さんが一同に会するもので、集まったのは下が小学校低学年から、上はもうすぐ還暦を迎える方というバラエティに飛んだメンバーです。
初めての試みで、内容は私が一言お話をした後に皆で会食をするといったものでした。
家族や職場、それぞれの所属教会といったコミュニティでの雰囲気とまた一味違う、何とも言えないゆるい雰囲気がとても心地よい、楽しい会となりました。その時のお話で、私は教祖のある逸話篇について触れました。
教祖は、ある時、
「この屋敷に住まっている者は、兄弟の中の兄弟やで。兄弟ならば、誰かが今日どこそこへ行く。そこに居合わせた者、互いに見合わせて、着ている着物、誰のが一番によい。一番によいならば、さあ、これを着ておいでや。又、たとい一銭二銭でも、持ち合わせている者が、互いに出し合って、これを小遣いに持って、さあ行っておいでや。と言うて、出してやってこそ、兄弟やで。」
と、お諭し下された。
(教祖伝逸話篇163.兄弟の中の兄弟)
この逸話篇で出てくる「兄弟」とは、「世界一れつは皆きょうだい」との教え・概念がベースにあると思案できます。
その世界一れつの中でも、この場にいるお互いは「兄弟の中の兄弟」とも言えるのではないか。例えば、本部神殿の廻廊ですれ違ったときに素通りしてしまうようでは寂しいし、困ったときには扶け合うような関係性でありたいと思います。
そして、親里でちょうどこの今という時を同じく過ごしている人とのつながり、その中でもこの繁藤の理につながるこの関係を大切にしてほしいというお願いをして、詰所でのお話を終えました。
この兄弟の中の兄弟という関係性は、ナナメの関係に近いものとも捉えられるかもしれません。柵(しがらみ)や利害関係はないけれど、途切れず心のどこかで大切につながっている第三者。
先生方の前会長に対する私への問いかけ、また詰所での集いを台にそんなことを思案すると、あらためて教祖の「兄弟の中の兄弟」という表現に、言い知れぬ奥深さと味わいを感じずにはいられません。
最後に、冒頭の問いかけに対し、改めてこの場をお借りして皆さんにお伝えいたします。
安心してください、前会長はすこぶる元気にしています。
なんなら、おぢばに毎月欠かさず帰ってきているので、飲み会のお誘いがあろうものなら、恐らくいそいそと出かけていくはずです。もしかしたら、そういう場も一つのサードプレイスなのかもしれません。
ぜひ、遠慮なさらずお声をかけていただきますようお願い申し上げます(笑)。
立教186年10月1日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男