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布教はイヤだ(繁藤月報-巻頭言 2026.3)


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セールス、勧誘、布教・・・。

これらの言葉は、利己的というか、扇動的せんどうてき※1 ] というか、マイナスの雰囲気をどうしても感じてしまいがちだ。する方も、される方も何だか嫌なイメージを持ってしまうという人も少なくないだろう。

他方で、先日の神殿講話において、これから繁藤大教会は「ひろめ一条」を胸に歩んでいきたいと話をした。

こんな時代に…。

何を今さら…。

そう思うのが普通の感覚かもしれない。しかし、その意識が薄れつつある今だからこそ、布教、にをいがけに真正面から向き合う必要があると、私は強く思う。

今回の巻頭言では、ひろめ一条の意味と、その神意について思案を深めたい。

今までと少し趣きが変わり、教理解説のようになるがお付き合いいただきたい。

※1 扇動的
気持ちをあおり、ある行動を起こすようにしむけること。

(未聴の方は、ぜひご視聴ください)

ひろめ一条

このたび、私は布教という言葉ではなく、「ひろめ(弘め)」という言葉をあえて用いた。このキーワードにまつわる神言や逸話をいくつか紹介していきたい。

まず、「ひろめ一条」という神言は、おさしづの中に、一度だけ出てくる。

何か万事の処、ひろめ一条、たすけ一条、後々仕切りて、又こうという。

おさしづ 明治24年11月30日

このおさしづの解釈は、万事ばんじ、つまりすべての事柄・場所に通づる精神が「ひろめ一条」、「たすけ一条」である、と考えられる。

初めての布教

次に、本教における初めての布教に触れておきたい。

嘉永かえい6年(1853)、教祖は夫・善兵衞ぜんべえ様のお出直し後、末娘のこかん様を大阪へ神名を流しに行かされた。これは、お道における初めて布教活動ともいえる。

当時、こかん様は数え17歳。今で言うと高校1年生の頃である。大阪は、江戸時代には商業の街であり、津々浦々から人が集まる栄えた大都会であった。その街角に、一人の若い女性が立ち、拍子木を打ち鳴らしながら、繰り返し「なむ天理王命」と神名を唱える。これが本教における、外部にむけた積極的なにをいがけであった。

教祖自ら機織りをされた、こかん様の振袖(天理時報より)

道弘め

続いて紹介するのは、明治14年頃のご逸話である。

山中こいそが、倉橋村出屋鋪でやしきの、山田伊八郎へ嫁入りする時、父の忠七が、この件を教祖にお伺いすると、

「嫁入りさすのやない。南は、とんと道がついてないで、南半国道弘みなみはんごくみちひろめに出す。なれども、本人の心次第や。」

稿本教祖伝逸話篇 84.南半国

この「道弘め」という言葉。布教という、強めの印象ではなく、どこかに向かって新しい道がひらけていくという明るいイメージを抱く。思想や雰囲気が布き渡っていくとも考えられるだろう。

なぜ神が現れたのか

ここで核心にせまりたい。なぜひろめるのか?その目的についてだ。

月日にわせかいぢううをみハたせど

  もとはじまりをしりたものなし

このもとをどふぞせかいへをしへたさ

  そこで月日があらわれてゞた

おふでさき 13号30-31

親神様は教祖をやしろとして、この世の表にお現れになられた。その目的、神意を簡潔にお教えくださっているのが上記のおふでさきである。

親神様の「もとはじまり」を世界へ教えたいとの思召。そして、人間が「もと」を知らない状態から、知っている状態になったときに、何かしらの変革が生じていく。

一人のためやない

加えてもう一つ、以下のおさしづを紹介したい。

一人のために道を弘めたんやない程に。ようこれを聞き分け。

世上せじょう救けたいため。一人のためやない。世上救けたいために弘めた道。

おさしづ 明治33年5月17日

自分一人だけが陽気ぐらしだったらいいのか。

家族だけ。

友だちだけ。

住んでいる地域だけ…。

親神様の思召はそんな視座ではない。

人間は皆、親神様の子ども、兄弟姉妹である。その兄弟姉妹が互いに尊重し、たすけ合う生き方こそ親神様が伝えたいことであり、切なる望みであるのだ。

結びに

ちょうどこの巻頭言を執筆している最中、アメリカ・イスラエルとイラクの紛争が勃発した。

正義の反対は、悪ではなく、もう一つの正義である。

という言葉がある通り、互いの主張はぶつかるばかりで、とても折り合いがつきそうにない。

そんな情勢に、自分はただ祈ることしかできない。

そして、あれこれ考えだすと、布教を論じるのが、おこがましい気さえしてくる。

しかし、そもそも本教の出発点に立ち返ると、布教、にをいがけ、道弘めという概念は、もっと純粋であり、親神様の思召にそのまま適うものであるはずだ。

ひとことはなしはひのきしん

  にをいばかりをかけておく

みかぐらうた 七下り

ひろめ一条、その態度と行いこそ、ようぼくの使命であり、何よりの御恩報じの行いなのだ。

そして、頭でっかちになるのではなく、ただ素直に教祖のお供をさせていただくという姿勢が大切なのではないだろうか。

そう、こかん様が大阪で神名を流しに出られたように。

さて、次回は「何をひろめるのか?」についてを思案を深めていこうと思う。

  立教189年3月1日
    天理教繁藤大教会長
          坂 本 輝 男あきお

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