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シリーズ
「かしもの・かりものの理」を深く掘る vol.5
前号をまだ未読の方は、よければこちらもご一読いただきたい。
なぜか人が離れていく
会長さん、いよいよ政治の話までし始めたわ・・・
タイトルを見て心配されるかもしれないが、ちゃんとお道の話をするので、安心して読んでもらいたい。
そして、今回も「かしもの・かりもの」の教えをベースに思案を深めていこうと思う。

最近、ある方と関わる中である違和感を覚えたことがあった。その方はとても活力があり、とても真面目で頑張り屋さん。何事も真剣に活動をされていて、尊敬できる人だ。
しかし残念なことに、なぜか周りの人の心が、その方から離れていく。
「なんで、こんなに頑張ってるのに報われないのだろう・・・」
不思議に思い、その方の言動など表面的なことだけでなく、いわば心の根っこの部分に目を向けてみた。
そこに内在していたのは、強烈なコンプレックスであった。おそらく幼少期の頃からのもので、本人も気づいていないかもしれない。私が感じた違和感はその方の腹の底、つまり心の根源にあったのだ。
コンプレックスだけに限らず、こういうことは珍しいことではない。
自分こそ気づかないものの、そういう心の根源を周りの人は敏感に感じ取ってしまうものだ。

世の中に渦巻くマイナスのエネルギー
よく心はエネルギーに例えられる。心はコロコロ変わるから「ココロ」であるとも言われるが、そのエネルギーは時と場合によって、プラスにもマイナスにも針が振れる。
上機嫌な時は、もちろん何もいうことはない。しかし一旦、心の針がマイナスに振れたら、コントロールできなくなる。何気ない一言にひどく落ち込んでしまったり、イライラがどうしても抑えられないこともあるだろう。
怒り、憎しみ、恨み、恐れ、不満、固執、執着、許せない心、強欲、嗜癖 [※1]、利己心、他責、ネガティブ、劣等感・・・
一晩寝たら忘れるくらいならいいが、そのエネルギーはふつふつと増長し、心の奥深くに根付いてしまうことがある。
マイナスのエネルギーは、時に大きな原動力になるが、必ず反動があるものだ。周りの人に悪影響を及ぼしたり、強すぎるマイナスのエネルギーによって、自分の身や心が蝕まれることだってあるだろう。

最近以前に増して、マイナスのエネルギーが世情に渦巻いている気がしてるのは、私だけではないだろう。
先月の巻頭言で令和の米騒動にふれたが、他にも物価高騰や税金問題、外国人問題や国家間のいさかい、痛ましい事件などのニュースを毎日見聞きする。
由々しき問題や現状に目を背けてはならないが、マイナスのエネルギーに巻き込まれてはいけないということは、誰もが頭ではわかっているだろう。
怒りや不安を煽り、他人を陥れ、非難や攻撃ばかりする。我さえ良くば、今さえ良くばと当たり前のように嘘をつく。
そういった、マイナスのエネルギーから生まれるのは、対立や分断、悲しみや苦しみばかりであるからだ。
いくら物質的に豊かになり、科学技術や医療が発達しようとも、人間の心が神様の思召に添ったカタチで成長していかなければ、世界が陽気ぐらしの向かっていくことはない。
※1 嗜癖
ある特定の物質や行動、人間関係が本人・周囲の人々に、都合の悪い事態が引き起こされているのに、その習慣にハマってしまいやめられない状態をいう。依存症やアディクションともいう。

「かしもの・かりもの」を心の土台に
お道では、この身体は神様がお貸しくださる「かりもの」であり、心だけが我が物であると教えられる。
心は自分のもの・・・。
しかし自由に、上手にコントロールできるものかといえば、先述の通り、そんな簡単なものではない。むしろコントロールできないことの部分の方が多い気さえしてくる。だからこそ、対処療法的[※2]に、うわべだけをどうこうではなく、心の根っこの本質の部分に向き合う必要があるのかもしれない。
「かしもの・かりもの」の教えは「教えの台」ともいわれる。さらに、この教えが心に治まらなければ、何も分からないとまでいわれる。
言い換えれば、その教えは我々人間が腹に治めるべき、心の土台、根源、出発点とも言い換えられるのではないだろうか。
喜び、満足、感謝、安心、優しさ、素直な心。
利他的で、自立していて、自由で、ポジティブで、柔軟で、広く、温かく、低い、澄んだ・・・そんな心。
「かしもの・かりもの」の教えが、一人ひとりの心の土台に治まれば、そうしたプラスのエネルギーが自然と湧き上がってくるはずだ。
あなたの心の根源にあるエネルギーはどんなものだろう。そっと自分の胸に手を当てて、一度考えてみてはどうだろうか。
※2 対処療法
病気の原因そのものではなく、症状を和らげる治療法のこと。

遠回りでも、天の理に敵う心を
まとめに入る前に、お詫びを申し上げないといけない。
タイトルに「選挙」という単語をいれたが、旬の話題にあやかって、ただ関心を寄せるためにつけたものである。
特定の政党や候補者をここで挙げるつもりはないし、私の主義主張を語るつもりもない。まあ強いていえば、できれば選挙にはいこうというくらいだ。
しかし、このたび取り上げたテーマは、全くかけ離れていることではない。
政治や国家だけでなく、小さい単位での家庭や友人、自分の心にいたるまで、天の理は普遍的[※3]な原理原則である。
満足は心の理、優しき者は日々満足。満足は小さいものでも、世上大き理に成る。これより大き理は無い。満足広く通り、不足はあちら縮める、こちら狭ばむ。時によれば取れて退く。満足というものは、あちらでも喜ぶ、こちらでも喜ぶ。喜ぶ理は天の理に適う。適うから盛ん。
おさしづ 明治33年7月14日

神様は、我々の心を見抜き見通されている。
表面上で取り繕っていることではなく、神様が受け取られるものは、心の根源が天の理に適うものであるかどうかなのだ。
このたび、時事問題を引き合いに出しただけに、もしかしたら綺麗事で理想論だと思われる方もいるかもしれない。それでも他者の言動や、マイナスのエネルギーばかりに惑わされてはならないと、私はいいたい。
遠回りだったとしても、本当に向き合わなければならないのは自分の心であり、神様の思召であるからだ。
そして、その神様の思召の根幹こそ「かしもの・かりもの」の教えであり、そこから湧き上がる一人ひとりの心が起点となって、陽気ぐらしの世界が広がっていく。
これこそ我々お道のようぼくが、周りの人々へ実直に伝えていかなければならないことである。
さて、もうすぐ大きな選挙がある。
様々な感情が渦巻くこんな世相だからこそ、皆様とともに一旦心を静め、天の理に適う心とは何かに向き合っていきたい。
[※3]普遍的
時代や場所を超えて、変わらずにすべてのものに当てはまる性質や価値観
立教188年7月1日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男

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