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営業と布教(繁藤月報-巻頭言 2024.9)

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〜 少し長めだが、特に繁藤の方は最後まで読んでいただきたい

ネガティブな営業のイメージ

「営業」といえば、どんな印象を抱くだろうか。

営業される側としたら「面倒くさい」や「しつこい」と思っちゃう。逆に営業という職業に対しては「気合と根性」とか「ノルマがきつい」など、どちらに対してもネガティブなイメージを持たれる方が多いのではないか。

しかし、企業にとって営業活動は生命線といわれるほど重要なものである。

既存顧客を維持していくことも大切だが、新規顧客の開拓をなおざりにした会社に未来はないといっても過言ではない。どんな組織でもこの根本は同じはずだ。

最近、この立場になってから営業を受ける機会が格段に増えた。社会人の方であれば、ジャンル問わず一度は営業をうけた経験があるはずだろう。

近年、営業とはわざわざ営業担当が直接会いに来ることだけに限らない。電話での営業はもちろん、皆さんのスマホに意図せず流れてくる広告なんかも、いわば広義の営業活動(マーケティング)とも言える。

特にスマホを持つようになってからは、あらゆる企業に自分の趣味嗜好などを知らず知らずのうちに分析されている。そして、その情報をもとに上手に営業アプローチをうけ、まんまと購入まで誘導されていることも少なくない。

やや嫌味な言い方をしたが、モノを買ったり、サービスの提供を受けることで幸せにつながるのであれば、悪いことばっかりではないだろう。

ただ、この令和の時代においても、営業はスマホ一つで完結することばかりではない。捺印が必要な契約を交わす場合や、それなりの大きなお金が動く事柄などは、営業担当と直接面会する場があるものだ。

例えば、直近で私自身の具体例をあげれば、コピー機リースの営業、太陽光発電の営業、そして保険の営業など多種多様である。

営業をうけたとき、その場で即決せずに、他社と相見積をとったり、どれだけのメリットがあるのか、はたして本当に今必要なのかなどの検討を重ねる。特に教会のことであれば、一人で判断せずに、役員会議にかけたりする。

100%正しい選択などできない

しかし、どこまでいっても決断にはリスクが伴う。いざ手に取ってみると想定していた商品と違うことにがっかりするかもしれないし、場合によっては予期せぬトラブルが起こるかもしれない。

その文脈でいうと、最近「地面師たち」というドラマを見たが、非常に勉強になった。

誰もが聞いたことのある大手企業が、土地の所有者になりすまして不動産の売却をもちかけた詐欺師集団に騙されるという話がもとになっている。単にドラマとしても面白いので、興味のある方にはぜひおすすめだ。

話は逸れたが、物事やお金の大小にかかわらず、受けた営業に対しての重要な判断材料が「信用」である。その商品やサービスに対して他の人はどんな評価や口コミをしているのか。はたしてその会社は信用に値するのか。そして実際に対峙するしている営業担当を本当に頼りにしていいのか。

先ほど紹介した「地面師たち」のドラマでいうと、大手企業でも騙されるのだから、100%間違いないという判断をすることは正直難しい。しかし、古い考え方かもしれないが、とどのつまりはこの会社なら、もしくはこの人(営業担当)にならお願いしたいという気持ちになれるかどうかだと私は思う。

少し大げさなことを述べたが、どんな営業に対しても、この「信用」というこのモノサシが決断の根幹をなす重要な要素であることは間違いない。

信用という見えない値打ち

ひるがえって、天理教における営業活動は何かと言うと、もちろんそれは布教である。企業の営業活動と、天理教の布教活動を一緒くたにして議論したいわけではないが、抽象度を上げると根本の部分で通づるものはあるはずだ。それこそが「信用」ではないだろうか。

しかし、布教をもって宗教を広めていくには、現代は確かに難しい世情だ。無宗教の概念が広まっているだけでなく、最近であれば政治と宗教の問題があったり、宗教二世などのネガティブなワードもよく耳にする。そういった世論に触れるたびに自信を削がれてしまうお道の信仰者も少なくないだろう。しかしそんなときこそ、よく振り返ってみてほしい。

町内会や民生委員の役をしてくれているのは、あの天理教の教会長さんだ。

天理教の印象といえば、小学生のときの楽しかった「こどもおぢばがえり」。

いつもコツコツと駅前を掃除してくれているのはどうやら天理教のおばちゃんらしい。

あの天理教の教会はこの地域に100 年以上、根付いてくれている。

「信用」を得るには時間がかかる。小さな積み重ねが何よりも大切だ。現在、社会から見た天理教の存在は、土地ところの教会活動や、名も無い信仰者の姿によって、ちょっとずつ、ちょっとずつ積み重ねられた「信用の貯金」という土台の上にあるのではないだろうか。

そしてその根底には決して社会的な信用を得たいという直接的な魂胆でなく、感謝の心からなる「ひのきしん」の態度があり、「誠の心」が体現された人たすけの行いが積み重なった結実である。

現代の宗教における諸問題にあるように、誰かに信仰を押し付けるようなことをしてはならない。しかし、お道を信仰する我々が卑屈になったり、遠慮する必要は全くない。むしろ、代々続いてきた教会の諸先輩方や親々の信仰に対して、もっと自信と誇りを持っていいはずだ。

そしてその自負を胸に、まずは家庭(パートナーや子どもなど)、そして地域社会へ信仰の喜びを伝え、土地ところで陽気ぐらしを広げていくことが我々ようぼくの使命なのである。

全教会布教推進月間(9/1~9/30)

冒頭に述べた営業のイメージは布教に置き換えても似ているところがあるかもしれない。

しかし、お道の布教と営業は大きく異なることがある。それは成果を求めることが真の目的ではないということだ。結果よりもその過程(取り組む姿勢や心)が大切なのである。

その心、動機はどこからくるかというと、親神様からいただいている「身の内かりもの」に対する感謝の心からなる。つまりにをいがけ・おたすけは、ご恩報じの現れなのだ。そしてこれこそが、陰徳をつませていただく一番の理づくりとなるのである。

最後に、この9月いっぱいを全教会布教推進月間と定めるとの声をおぢばから頂戴した。

にをいがけ・おたすけは教祖のお供をさせていただくことである。さあ今月はお互いに仕切って歩ませていただこう。


繁藤の方々への追伸

(※ 繁藤の方以外はスキップして結構です)

先ほど述べた通り、この9月を全教会布教推進月間と定めるとのおぢばの声をいただきました。全教会が心を合わせ、一人でも多くの方と一緒ににをいがけの実働し、教祖にお喜びいただきたいということがこの活動の趣旨です。

戸別訪問や神名流しなどの実働はもちろん、チラシ一枚でも配ることも値打ちがあります。他にも、疎遠になったあの人に会いにいってみよう、遠く離れたあの方にメールをしてみようなど、どんなに小さくても一歩を踏み出すことが大切です。

そこで、私から皆さんにお願いしたい小さな一歩が3つあります。

3つのお願い

  • 繁藤公式LINEの友達登録をすすめる(現在約200人)
  • 繁藤公式YouTubeのチャンネル登録をすすめる(現在約1000人)
  • 繁藤月報を購読(無料)をすすめる(現在毎月約200通)

この一ヶ月、皆で取組めば倍増するのも難しくないはずです。

家族に、遠く離れた教友に、お道の教えを伝えたいあの方に、ぜひ下記のリンクからご紹介ください。まだ登録がお済みでない方も合わせてお願いします。なお、繁藤月報の購読(無料)もどなたでもお申し込み可能です。

スマホ1つでできる「にをいがけ」。ぜひよろしくお願いします。

また、戸別訪問やチラシ配りに一歩踏み出してみようという気持ちが少しでもある方は、お申し込みいただければ、大教会からにをいがけチラシをお送りします。ご希望の方は、上記の同じリンクからお申し込みください。

おぢばから打ち出された声を素直に受け取り、教祖140年祭に向かう三年千日、ふしから芽がでる御守護をいただけるよう、この9月は繁藤一丸となってにをいがけ・おたすけに歩ませていただきましょう!

  立教187年9月1日
    天理教繁藤大教会長
          坂 本 輝 男

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