ちょうど一年前、この巻頭言で「私淑」という言葉を用いて、師弟関係についての考えを書いた。その後、皆さんの中で私淑する人は新たに見つかっただろうか。
一年前の巻頭言を読んでいない方は、まずこちらをぜひ読んでいただきたい。
さて、今回は師弟関係の話の続きを書きたい。
「出藍之誉」という言葉がある。一言でいうと、弟子が師匠を超えることを表した言葉だ。由来は、青色の染料は草の藍からとるが、それはもとの藍草よりももっと青いことからの喩えである。
また相撲の世界では、稽古で胸を借りた先輩力士に本場所の土俵で勝つことを「恩返し」と表現する。
武道や芸能において、弟子が師匠を超えることはある意味で理想の伝承とも言えるのかもしれない。
では、お道(天理教)はどうだろうか。
お道において師弟という言葉が使われることは少ない。どちらかというと血縁に関係なく、「親」と「子」という関係性が構築されることが多い。ただ、「親」を「超える存在」として捉えることは基本的にしない。
一方で、同じような文脈で「初代は超えられない」という話をときおり耳にする。ここで言う初代とは、教会の初代会長や、その家で最初に信仰し始めた親族・先祖のことを指している。
私でいうと、高祖父であるひいひいおじいさんが信仰初代だ。つまり、私は坂本家で信仰5代目ということになる。
ちょうど先日、繁藤の初代会長について話す機会があった。
初代会長にまつわる話は様々あるが、そのとき話に出たのが初代会長の固い信仰信念だ。
繁藤の教会が設立された明治25年頃、布教費捻出のために起こした事業が大失敗し、多額の借金を背負った。
それから十数年、どん底の中を心倒さずに人だすけに専心し、教勢は愛媛、九州へと伸びていったが、いよいよ経済的に行き詰まる。そこで教会役員一同が話し合い、もはや教会解散の外ないという結論に至った。
しかしそこで瓦、柱、畳、建具等を各々分配しようとした際、初代会長は
「では、皆さんは鳴物、神具等は必要ないだろうから、もしわけ分として下さるなら、これを私に下さい」
と言った。
たった一人になってもこの信仰を続けていくという固い信念が初代にはあった。その道すがらの苦労は計り知れないものがある。
信仰5代目の私のように、生まれたときから生活の中に信仰があり、強烈な信仰体験がないものにとって、初代を超えるような信仰信念を掴むことは容易にできることではない。
そういったことから、お道では「初代は超えられない」という表現をすることがままある。
たしかに初代会長の道すがらを辿ったとき、今の私の信仰のままでは、初代会長を超えることはできないかもしれないと感じる。
しかしよく考えてみると、そもそも何をもって「超える」というのか。
信者数や御供の金額なのかというとしっくりこないし、そもそも時代や環境も大きく違う。
単純な個人の能力を比べるこではないだろうし、ましてや信仰心の強弱を数値化して図ることはできない。
というか、そもそも張り合う必要があるのだろうか。
そこでヒントとなる言葉を紹介したい。思想家で、武道家でもある内田 樹氏は師弟関係について、こう述べている。
- 師を見るな、師の見ているものを見よ -
弟子が『師』を見ている限り、その視座(※)は『今の自分』から動かない。今の自分を基準に師の技や芸を解釈し、模倣することに甘えるなら、技芸は代が下がるにつれて劣化し、変形していくでしょう。
弟子は、師その人や、師の技ではなく、『師の視線』『師の欲望』『師の感動』に照準を合わせなさい。師が実現しようとしていたものを正しく射程にとらえたなら、原点にある大切なものは汚されることなく時代を生き抜くはずです。
内田 樹 著『寝ながら学べる構造主義』より
武道や芸能と同様に、天理教のことをお道と呼ぶ。そう、後ろにも前にも続く道なのである。
繁藤の初代はじめ、お道の礎をつくられた先人の先生方は、何を感じ、何を求め、そして未来に対してどんな希望を抱いていたのだろうか。
先人達の足跡の上に立つ我々が、そのことを思案するとき、歴史は解像度を増し、さらに色鮮やかになるだろう。
そして先人達だけでなく、真柱様が、教祖がどんな視座に立たれているのか。
同じ視座に立つことは到底叶わずとも、そこに意識を向けて拝察するとき、さらなる成人の道が拓けてくるはずだ。
いよいよ今月から三年千日も後半戦に入る。
教祖140年祭、その先に続くこの道を、高い視座を持ちつつ、精一杯目の前のことに誠を尽くしていきたい。
立教187年6月1日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男
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脚注
[※] 視座(しざ)
物事を見る姿勢や把握する時の立場