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なぜ繁藤の教会役員は全員男性なんだろう?(繁藤月報-巻頭言 2024.4)

「牡丹」(画:池田澄子)

いきなり物議を醸し出すようなタイトルから始まったが、決して繁藤大教会の現状を批判し、悲観したいわけではない。

むしろ、誰もが安心と自信を胸に抱くことのできる、そんなより良い教会を目指していくためにも皆さんと考えを深めていきたい。

ジェンダーとは

つい先日、天理大学おやさと研究所 [※1] 主催の特別講座に参加した。そこで取り扱われたテーマの一つが「ジェンダー ( gender ) 」についてだった。

ジェンダー平等やトランスジェンダーなどの言葉は誰もが一度は耳にしたことがあるはずだ。

ジェンダーの前後に引っ付く言葉によって、意味やニュアンスが変わってくるが、ここでいうジェンダーの意味は「性別」というよりも、人間社会における「男らしさ、女らしさ」と捉えた方が理解しやすいだろう。

よくニュースで出てくる「ジェンダー」にまつわる文脈の多くが社会の抱える問題・課題として取り扱われているが、これはどういうことなのか。

例えば、何気なく使う「女子力」や「草食系男子」などの言葉にも、「男たる者かくあるべし」とか「理想の女性像」といったような概念が内在していたりする。

性別を男と女の2つに分けて、個性や能力を図るこのような考え方は、無意識にしているものでつい、当たり前だと考えがちだ。

しかし、時に抵抗を感じ、人によって葛藤が生じることもある。LGBTQなどはその代表的な例だ。

どの会社や学校、家庭などにも存在している「当たり前」を疑ってみると、これまで見えてこなかった格差や差別が見えてくることがある。

そして、この視点はジェンダーに関わる事柄に限ったものではなく、あらゆる社会の課題にあてはまる。

現代において、そのような物事の見方、姿勢を持つことはどんなコミュニティや立場でも重要視されつつあり、もちろん我々のような宗教家は言うまでもない。

講座の様子

ジェンダーの視点で教会を見てみる

さて、繁藤のことに話を戻し、まず現状認識からしてみたい。

まず信者(ようぼく)の実数でいうと、全体の約6割が女性である。

翻って、部内教会長の9割以上が男性だ。

また大教会としては役員、准員、婦人などの立場を設けている。他にも、祭事部や会計部などの部署が複数あるとともに、婦人会や青年会などの会組織もある。

ただ、繁藤大教会全体としての重要な議論や意思決定については役員会議が担っている。しかしタイトルにもある通り、20人足らずの役員は全員が男性だ。

約2年前、教会長を拝命したばかりの頃、私は上記の現状に疑問を抱いた。現代社会の潮流も鑑み、大教会の大きな方向性を示していく役員という立場に女性も入ってほしいと考えた。

そこで当時、婦人会の責任者をしていた母親にそのことを相談したところ、「そんなつもりはない」と一蹴された(笑)。よくよく話を聞いてみると、なるほど納得。女性をはじめ、繁藤の中にそういった概念や風土がまだ醸成されていないことが見えてきた。

正確にいうと、以前はあったものが自然と薄らいでしまったのかもしれない。というのも、教会史を見ると過去にも女性役員は数名いたし、そもそも考えてみれば祖母である5代会長 [※2] は女性であった。

お道における女性の活躍 

あらためて祖母の姿を思い出すと、「女らしさ」はもちろん、「男らしさ」の両方を持ち合わせていたように感じる。

ご部内の教会に目を向けても、女会長として求心力や結束力を発揮し、教会が活気づいた例はたくさんある。

最近においても、女性の活躍に感心することは多々ある。

例えば昨年、修養科の一期講師として繁藤からは女性の先生を推薦し、女子クラスの担任として3ヶ月つとめてもらったが、修養科側から大変感謝された。

また、繁藤地域において実施している地域食堂(こども食堂)や高齢者向けの宅食支援も女性なしには活動がままならない。

他にも昨年に行った大教会の組織再編成で、全体的に女性の比率が高まったのだが、私もいくつかの会議体に参加していて思うのは、やはり女性の発言や役割などは本当に貴重であるということだ。

はっきり言って教会でも、信仰家庭という単位においても、女性陣に勢いがでると明らかに雰囲気が変わる。

一方で、妻がよく「私なんて」ということを口にするが、そのたびに「そんな言葉はいらないと思うよ」と私は答える。

他の女性でも遠慮も混じってこのような言葉をたまに耳にするが、多くの場合、というかほぼすべての機会において、そんな言葉は必要ないと心底思う。

婦人会繁藤支部の先輩方

ジェンダーとお道の教え 

最後に天理教の教えにも触れたい。

お道が目指す「陽気ぐらし」を実現するための役割(ようぼく)において、男女の隔てはない [※3] と教えられる。

また、最も重要な祭儀である「おつとめ」をつとめるにあたり、そもそも女性の存在がないと成り立たないというのは、他宗教をみても世界的に稀有なものである。

親神様の守護(働き)、男女の特性や役割についてまだまだ述べたいことはあるが、紙面の都合上、今回は割愛する。

ただ大事なことは、男や女である前に、我々人間は等しく親神様の子供であり、一れつ皆兄弟姉妹 [※4] であるということだ。むしろ男女問わず、互いに立て合う(尊重し合う)こと、助け合うことの方が大切だと私は思う。

結びに、本質を見据えて 

いろいろと話が散らばったが、まとめとして最初の問いに戻ると、繁藤大教会において単に役員に女性を起用し、ジェンダーの差を埋めようとすることが本質の目的ではない。

この問いの答えになってはいないが、私が一つだけはっきり言えるのは、誰もが自分の徳分を活かし、お道の素晴らしさを広く伝えていくためには、女性のチカラが今以上に必要になってくるということだ。

今回はジェンダーという概念を用いて論じたが、冒頭にも述べたように、悲観や生きづらさを感じるのではなく、誰もが安心と自信を胸に抱くことのできる、そんな教会・信仰を繁藤につながる皆さんと共に築いていきたい。

  立教187年4月1日
    天理教繁藤大教会長
          坂 本 輝 男

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脚注 
[※1]

正式名称は「天理大学附属おやさと研究所」。時代とともに進化する知性によって生じる、啓示と現代思潮とのギャップを埋め、時代に適応する教学の研究を展開する役目を担う。

[※2]

坂本藤恵 5代会長。夫である4代会長の出直しを機に、昭和33年に40歳で繁藤大教会長に就任。在職期間は平成元年までの約30年間。平成27年、99歳で出直し。

[※3]

この木いもめまつをまつわゆハんでな
いかなる木いも月日をもわく

おふでさき (7号21)

(注釈)よふばくとなる者には男女による区別はない。男でも女でも、心の澄んだ真実の者であるならば、親神はよふぼくとする考えである。

[※4]

せかいぢういちれつわみなきよたいや
たにんとゆうわさらにないぞや

おふでさき (13号43)

(注釈)世界一列の人間は皆兄弟で、他人というものは一人も無い。この真実元初まりを知っている者の無いのが、親神としては、大そうはがゆくて堪らない。

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