先日、おぢばのしだれ桜のライトアップを見てきました。ライトアップされた夜のしだれ桜は昼間とはまた違った美しさで、集まった教内外の人々を魅了していました。親里では桜だけでなく、紫陽花やイチョウなど、四季折々の美しさを感じることができ、おぢばがえりの一つの楽しみでもあります。来年この季節におぢばがえりされる方はぜひご覧ください。
少し話は変わりますが、おぢばの楽しみといえば、欠かせないのが詰所でのひとときです。第18母屋となる繁藤詰所は、昭和46年に竣工され、すでに築50年を越えました。言うまでもありませんが、詰所は天理帰参やこどもおぢばがえりの際の宿泊施設、また修養科生などの修養場所であり、我々の憩いの場であります。皆さんそれぞれ繁藤詰所での出会いやおたすけなどを思い返せば、笑いあり涙ありの物語がたくさんあるはずです。もちろんこの先も、様々な信仰の物語が生れていくのが詰所という場所です。しかし、ここ最近はコロナ禍も相まって、詰所宿泊や修養科生の人数は減少している現状があります。昨年10月の御礼団参で久しぶりに詰所が賑わったとき「やっぱり詰所はこうでないと」と思ったのは私だけではなかったはずです。
そんな中、このたび繁藤大教会では「詰所活用委員会」を立ち上げました。時代に合わせながら、帰参者にとって過ごしやすい環境を整備していくことが一つの目的です。ただ、それはあくまで目的の一つであり、本当の主眼は、信仰を深め、培う場としてさらに充実した詰所を目指していくことであります。
比較するのも可笑しいですが、ちょうど今秋、天理駅前には東横インがオープン予定です。もしも一人で、家族で気楽に安心して過ごしたいなら、環境もサービスも整ったホテルにはっきり言って詰所は敵いません。しかし、仮にそれを競合と考えるならば、そもそも詰所に宿泊する我々はサービスを提供される側のお客さんなのか、より良い詰所を目指すとは果たしてどういうこととなのか、先月末にひらいた詰所活用委員会でもそういった議論になりました。今後、この委員会を中心として、皆さんのご意見をいただきながら、詰所活用の動きを進めていきたいと思います。
おぢばは、あらゆるご守護の源泉地であります。親里に帰り、親神様、教祖を人のたすかりを願って拝す。そして詰所で膝を突き合わせて信仰を語り合う。教会でも詰所においても、本当の価値は建物ではなく、その場に集う人々の信仰です。この三年千日も、そんな信仰の練り合いや喜びが溢れる詰所を目指していきたいと思います。
そうして繁藤詰所が冒頭のしだれ桜に負けないくらい、信仰の花を咲かせる場にしていこうという希望を胸に、一人でも多くの方と共におぢばに帰らせていただきましょう。
立教百八十六年四月一日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男
(アイキャチ画像の引用元)