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シリーズ
「かしもの・かりものの理」を深く掘る vol.10
前号をまだ未読の方は、よければこちらもご一読いただきたい。
- 早い信仰と遅い信仰(2025.3)
- 急ぐ必要はない、あえて遅らせよう(2025.4)
- 神の身体と天然自然(2025.5)
- 「令和の米騒動」と天理教(2025.6)
- 選挙と天の理(2025.7)
- 子供に伝える、神様のおはなし(2025.8)
- 子供に伝える、”ひのきしん” のおはなし(2025.9)
- 夫婦問題と天の理(繁藤月報-巻頭言 2025.10)
- 出直し 〜希望の教え〜(繁藤月報-巻頭言 2025.11)
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はじめに
早いもので、もう師走。
今年は皆さんにとって、どんな年だっただろうか。嬉しいことや楽しかったこともあれば、反対に、悲しいことや辛かったこともあったはず。
しかし、誰しも最後は「今年もいい年だったな」と締めくくりたいものだ。
そんなことを考えていたら、ある疑問が浮かんできた。
なぜ親神様は、始めから理想の世界・人間を創らなかったんだろう?
親神様は、この世と人間をお創りくださった実の神様。そして私たち人間の元の親なる神様だ。
であれば、もっと良い世界、人間を設計できたんじゃないだろうか。
理想までいかずとも、願わくば怒りや悲しみよりも、少しでもプラスの幸せな気持ちが勝ればいいのに。
このたびの巻頭言は少し趣向を変えて、3つの短編コラムでこの問いに向き合ってみたい。

ピクニックへ行くように
月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから
おふでさき(14号25)
親神様(月日)が人間をつくった理由、それは陽気遊山をしてる姿を見たいからだ。
遊山とは、読んで字の如く、野山に遊びにいくことである。つまり今風にいうとピクニックだ。
加えて、陽気遊山は以下のように表現される。
いつも豊年万作で、身体は丈夫で、病まず死なず弱りなく働ける。
天候は順調で、日中は晴天でそよそよ風。雨は夜中に降って、朝方にやむ。それも月六ぺん。それで、みんなが楽しく働く。
昼まで働いて、昼からはよふき遊び。みんなが野や山に出て、青天井の下で、天のめぐみを称えながら、遊び、たのしむ。
(神の出現とその周辺 高野友治著)
自然、身体、モノ、運命。この世の森羅万象、そのすべてに陽気遊山が見たいという神意が込められている。これを「元のいんねん」という。
それは因果応報という過去に縛られた暗いものではない。陽気遊山という未来につながっている。
人間の生きる目的は陽気遊山であり、これが人生の希望なのだ。
天理教は、なんて朗らかな教えなんだろう。

完璧じゃない人間
最近我が家には絶賛「イヤイヤ期」の三歳の娘がいる。一度イヤと言い出したら、ほとほと手に負えない。まるで怪獣だ。
でもその分、「お父さん」と抱きついてくる際の可愛さもひとしおである。
ただの親バカ発言だが、ふと思ったことがある。
我が子といえども親の思い通りにはならないもので、どんな子だって手がかかる。しかし、だからこそ愛しいのではないかと。
例えば、恋愛でもちょっとダメなところがある人の方が愛される。
料理でも、ちょっと癖があった方が、また食べたいと思う。
最近流行っている「国宝」という映画もそうだった。欠けているから美しいのだ。
人は誰しも満ち足りた状態、完璧を目指すが、人生において「遊びがある」ことこそ大事になるのではないだろうか。車のハンドルに遊びがあること。つまり、「ゆとり」「余白」があるということだ。
そして、その「遊び」がどこにあるかといえば、一人ひとりの心にある。
をやこでもふう/\のなかもきよたいも
みなめへ/\に心ちがうで
おふでさき(5号8)
もしかしたら親神様は人間の設計段階で、あえて心という「遊び」をつくったのかもしれない。
完璧な人間なんかいやしない。不完全でも、凸凹でもいいんだ。
いがみ合うのではなく、あなたにも私にもある「心の遊び」を楽しんでいこう。

神も、人も、共に
「神人和楽」という言葉が私は好きだ。
どちらか片方ではなく、神も、人も、和やかに楽しむ世界である。そこには相互に働くベクトルがある。
親神様から人間には親心を。
そして、子どもである人間からは感謝と親孝行を。
神人和楽はこの相互関係が根本にあってこそ成り立つものだが、現実、これがなかなかうまくいっていない。それぞれの思惑にすれ違いが生じるからだ。
人間というは、身のうち神のかしもの、かりもの。心ひとつが我が理。
おさしづ(明治22年6月1日)
人間の身体は親神様からの借り物だが、心だけは一人ひとりが自由に使えるものである。つまり、親神様といえども思い通りにはできない。
現に人間は、良い心も使えば、悪い心も使う。
争いもするし、自分の私利私欲ばかり考えたりする。
しかし、親神様はどんなときも見放すことなく、温かい親心をもって我々を見守り、育んでくれている。
起こってくる事柄に一喜一憂しながら、神人和楽にむかって人間が成人(成長)していく姿をみるのが、親神様からすると何よりも嬉しいものかもしれない。それは人間が我が子を思う親心と同じである。
我々人間は、その親心をただ素直に慕って、心を澄まし、互いに助け合いながら歩むことが、親神様への何よりの親孝行となる。
神も、人も、共に。
神人和楽へむかう一番の鍵は、かしもの・かりものにあるはずだ。

結びに
全10回にわたって連載してきた「かしもの・かりものを深く掘る」というシリーズも、今回で一区切りにしたい。
来年以降は、十全の守護や元の理の教えを、連載で掘り下げていくつもりだ。

最後にお誘いとお礼を一言。
大教会の神殿大掃除を12月16日の朝8時半より行います。ひのきしんのお力添えいただれば、大変嬉しく思います。
少し早いですが今年一年、皆様には大教会の動きの上に、また私個人におきましても、多大なる御厚恩を賜りましたこと、心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
どうか良いお年をお迎えください。
立教188年12月1日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男
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