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シリーズ
「かしもの・かりものの理」を深く掘る vol.8
前号をまだ未読の方は、よければこちらもご一読いただきたい。
- 早い信仰と遅い信仰(2025.3)
- 急ぐ必要はない、あえて遅らせよう(2025.4)
- 神の身体と天然自然(2025.5)
- 「令和の米騒動」と天理教(2025.6)
- 選挙と天の理(2025.7)
- 子供に伝える、神様のおはなし(2025.8)
- 子供に伝える、”ひのきしん” のおはなし(2025.9)
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最近、半年以上にわたって続けてきた「かしもの・かりもの」のシリーズ。おさらいではあるが、以前に私が提示したポイントは以下の3つである。
① この世は神の身体
② 人間の身体は神様からの「かりもの」
③ 心一つが我のもの
これまでの連載では「世界・自然」「自分の身体」「自分の心」の3つを主体に考えをまとめてきた。今回の内容では、自分以外の人のこと、つまり「他者」についての関係性を交えて考えを深めてみたい。他者の中でも取り上げるテーマは、タイトル通り「夫婦」である。

夫婦は幸い?それとも禍い?
夫婦といえばどんなイメージを抱くだろうか。愛や幸せといったイメージを抱く方もいれば、反対に「結婚は人生の墓場」という言葉もある。この読者がそう思っていないことを願うばかりだが、もともと他人の2人が夫婦となり、一番近くで人生の苦楽を共に歩むのだからこそ、その関係は一筋縄でいくものではない。
夫婦の問題は、関係不和や喧嘩だけに限らない。
未婚、晩婚、離婚、DV、嫁姑、少子化、子育て、LGBTQなど。古今東西、夫婦にまつわる問題は多岐にわたり、10組夫婦がいれば、10通りの夫婦のスタイルがある。いくら天理の教えがあろうと、「夫婦とはこうあるべきだ」と安易に言葉を投げつけることはできない。
ましてや夫婦歴が10年にも満たない私が偉そうに「理想の夫婦とは」と、のたまうのも甚だおこがましいし、ややもすれば自分の首を締めかねない。(笑)

夫婦の今と昔
そもそも一言で夫婦といっても、時代や国が違えば、その実態は大きく異なる。2つほど例を出そう。
江戸時代、我が土佐藩には離婚に関してある禁止令があったという。それは、「7回離婚することは許さない」というものだ。裏を返せば、6回までは許されるということである。
「よくそんな甲斐性あるな・・・」と感心するが、これは土佐藩に限った話ではない。江戸時代の離婚率は、現代と同等、もしくはそれ以上だったという研究もある。

また今年、おぢばにある天理参考館では、モンゴル帝国のチンギス・ハーンの家系図が公開された。直径5m超におよぶ木綿の布には、チンギス・ハーンの子孫を中心に14世代目までの家系図が記されており、その人数はなんと約1万2000人にのぼるという。
ちなみにチンギス・ハーンには5人の正妻がおり、諸説はあるがその他にも数十人、数百人の側室や、妾がいたというから驚きだ。
周知の事実であろうが、夫婦のあり方や価値観というものは、風土や文化、宗教、そして時代によって大きく変化するものである。

お道の教えと「夫婦」
教祖がお教えくださった天の理は普遍的[※1]である。その教えをもとに夫婦について掘り下げていきたい。
天理教の原典には「夫婦」というワードがたくさん出てくる。まずはなんといっても、みかぐらうたの第2節だ。
「このよ(世)のぢい(地)とてん(天)とをかたどりて ふうふ(夫婦)をこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし」
みかぐらうた 第2節
「地と天」とはこの宇宙のことである。天は父性であり「くにとこたちのみこと(水の守護の理)」が、地は母性であり「をもたりのみこと(火の守護の理)」が対応している。
また、おふでさきでは親神様を「神・月日・をや」と呼び方を変えて表現されている。
ここで特筆すべきなのは、二つの相対する事柄が対になっていることである。「月と日(太陽)」、「天と地」、「水と火」(くにとこたちのみこと・をもたりのみこと)、そして「男と女」が対をなしている。
この相反する性質をもつ二つが一つに統合されることによって、この世界が創られ、人間やこの世界が成立している。これを「二つ一つ」という。
そして、冒頭に記したように、この世界は親神様の身体であり、親神様のご支配、ご守護によって私たちは生きている。
教えに初めてふれる方には少し難解かもしれないが、私がここで伝えたかったことを一言にまとめるとするならば、「この世界、この人間の出発点は夫婦である」ということだ。


[※1]普遍的
時代や場所を超えて、変わらずにすべてのものに当てはまる性質や価値観
夫婦は楽しい
もう一つ、親神様の視点で夫婦はどういうものか、ということを述べたい。
おふでさきに、
ことしから七十ねんハふう/\とも
やまずよハらすくらす事なら
それよりのたのしみなるハあるまいな
これをまことにたのしゆんでいよ
おふでさき 11号59、60
これは教祖のご長男・秀司様とその妻・まつゑ様の結婚にまつわるものだ。
これから70年間、夫婦とも病気にもならず老衰もせずして暮らす事が出来たならば、それより以上の楽しみは無いであろう。これを心から楽しんで通るがよい、という意味だ。
そして、同じく二人の結婚に際し、
せんしよのいんねんよせてしうごふする
これハまつだいしかとをさまる
おふでさき 1号74
とのおふでさきもある。
夫婦の本質は、惚れた腫れたとかいう人間の意思を超えたもので、魂のレベルで前生の「いんねん(親神様の意図)」があるということだ。
そのいんねんを端的にいうなれば、「陽気ぐらしへ導きたい」という親神様の深い親心が込められているのである。

まとめ「夫婦の天の理」
このたびの内容は「親神様の十全の守護」、「元の理」の一部だ。「かしもの・かりものの理」を掘り下げていくのに、絶対に外せないものである。
ここで一点、ことわっておきたい。それは夫婦だけが幸せのカタチだ、といいたいわけでは決してないということだ。ましてや離婚したら、男女じゃなかったら、子供を授からなかったら、ダメだとか幸せじゃないということでもない。
- 夫婦は人間創造、この世界の根本である
- 親神様のご守護のもと、夫婦で暮らすことは楽しいことである
- 夫婦の関係には、陽気ぐらしに導きたいという「いんねん」が込められている
この揺るぎない天の理こそ、このたび伝えたかったことだ。

夫婦関係で悩み苦しんでいる人は、昔も今も後を絶たない。「夫婦喧嘩は犬も食わない」ということわざがあるが、人たすけを使命とする我々天理教のようぼくはただ傍観しているようではいけない。
犬も食わない問題であろうとも、ときには話を聞き、寄り添い、間に入ってもつれた糸を解いていく手助けをしていく。
そして、このたび述べた「夫婦」における確たる天の理を、自信をもって世の人に伝えていかなければならない。
立教188年10月1日
天理教繁藤大教会長
坂 本 輝 男

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